日々の気になったことや仏教についての話など。


by namazunahi

緊張と弛緩

体をリラックスさせる方法として、緊張から弛緩させる方法があります。

体全身に力をいれて、歯を食いしばってこぶしを強く握る。
力が集まったところで、ポッと抜くと余分な力がとれます。

呼吸でやるなら、吸いで肩を上まであげてポッと全身を抜く。

この時、息を強く吐くと良いです。
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# by namazunahi | 2009-08-02 19:29

歩く

ボーとすることに慣れてきたら、次はボーとしながら歩いてみる。
しばらくすると、上半身の力が抜けてきます。
次は、腰で引っ張る感じで歩いてみると、普段以上のスピードで疲れなく歩けるます。
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# by namazunahi | 2009-08-01 04:25

静寂

すべての人間の争いがなくなる時とは?

それは、意識を集中したときに訪れる静寂。

思考という争いの元から離れたときに現れる。
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# by namazunahi | 2009-07-25 02:41

身を任せる

思考を止める簡単な方法として、口を半開きでやや上を向いてボッーとすることです。

しばらくすると、体の感覚をより感じれるようになりますので、そのまま、体の感覚に
身を任せます。

一日なんかもこれをやることで、瞑想状態に入れる感覚が磨かれます。
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# by namazunahi | 2009-07-22 16:44

思考

思考というのは今までの情報をもとに考えています。
でも、思考している時も状況は変化していて、思考して出た情報はもう古いものとなります。

だから、瞑想では思考から離れて心を観ます。
今という時の流れに乗るのです。
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# by namazunahi | 2009-07-18 07:11

努力

自然の中で静かに座っていると色々な音が聞こえてきます。
川のせせらぎ、小鳥の声、木々のざわめきなどなど。
これらは努力して聞こえたわけでなく、ただ静かに座っていただけで今まで聞こえなかった音が明瞭に聞こえたわけです。

瞑想も努力をやめてただ静かに座っていれば、今まで見えなかったものが見えてきます。
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# by namazunahi | 2009-07-15 21:29

自然

都市部でくらすと五感(目、耳、鼻、舌、肌)の能力が低下するそうです。
これは不快なものを遮断するためだそうです。
パチンコ屋やゲーセンに行くと、最初は音がうるさいがそのうち音に慣れる。

逆に、自然の中に入ると五感の能力がアップするそうです。
マサイ族の人は視力が異常に高いが、都市部のマサイ族は普通の視力。

人というのは五感の刺激と心の刺激を求めて生きてますが、五感が弱まると
心が刺激を作り出し(恐れ、不安、後悔)、心が刺激過多で疲れてしまいます。

逆に五感が冴え渡れば、心の刺激を必要としないので心が休まるのです。

心がお疲れの人は休日に自然と触れ合うのをお勧めします。
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# by namazunahi | 2009-07-14 06:22

痛みを知る

知り合いのスポーツマンが腰痛で、おれも弱くなったと嘆いていた。
しかし、スポーツで体を酷使すれば腰を痛めるのは当然で、むしろ腰の痛みに気づけたんだから
それは腰が強くなったんだよとその彼に説明。

例えば、自転車に精通してるなら、僅かの異常で自転車の故障がわかるように。
自分の体がよく見えるようになれば、自分の体の異常に早い段階から察知できるよになる。
早い段階で気づけれれば、それだけ調整するのも簡単なわけです。

体が鈍くなってると、体の痛みに気づかず壊れるまで体を酷使することに・・・。
パソコンもやりすぎると目がどんどん鈍くなり長時間やっても疲れなくなります。
こまめに目と体に休息を与えましょう。

心も同じで、戦場で人を殺すのに最初は痛みを感じていたが、だんだん痛みすら感じなくなり
自分の心が壊れるまで走ってしまう。

心もこまめに休めましょう。
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# by namazunahi | 2009-07-13 02:58

最近みた映画

未来を写した子どもたち
http://www.mirai-kodomo.net/

売春街に生まれた子どもたちを追ったドキュメンタリー。
子どもたちの元気で喜びに満ちあふれた顔をいくつも撮れていて、この監督の子どもたちに対する
愛情の深さを感じます。
閉じた世界から開かれた世界をみたときの子どもたちの顔は涙ものです。

エヴァンゲリオン破

シンジ君が熱血キャラに(驚)

レスラー

プロレスに興味がない人に観ていただきたい。
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# by namazunahi | 2009-07-12 20:05 | 映画

求めよさらば与えられん

そもそも宗教というのは神(偉大なる何か)を感じるもので、その宗教者が信者を増やすとか、権力や名誉を求めるとか、金や女を求めるというのは自分の心が満たされていないわけであり、それは偽の指導者ということであります。

内なる心が満たされてないから外に求めている、しかし、外に何かを求めても満たされることはない。
ということを信者に叩き込むのが指導者のつとめであるのに・・・。
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# by namazunahi | 2009-07-12 03:25