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日々の気になったことや仏教についての話など。


by namazunahi

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簡単に姿勢を正す方法

まずは正座して、眉間を人に押してもらう。そうすると簡単に後ろにくずれる。

次に、正座したまま遠くを見る、ほんで眉間をおしてもらうと、さっきより崩されないのが分かると
思います。
でも、目に力を入れながら遠くを見た状態で眉間を押されると崩れる。

よく、授業中に集中して聞け!と先生に言われると、背筋を伸ばして緊張した状態で聞いてしまいますが、この状態だと姿勢が崩れて、頭が緊張しているので全然授業の内容が入らないわけです。

何かに集中したいときは、微笑みながら一回遠くをぼんやり見るのがオススメです。
力まずにリラックス、リラックス。
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by namazunahi | 2007-03-27 17:58
この前、占ない好きの女の子と話していたら。その子、何でもかんでも占い師に相談して決めるって言ってたから(こういう女の子って結構、多いですね)
僕が「占い師は当たらん奴に占ってもらったほうがええんやで」と言うと、
女の子が「えー何で?当たった方がいいやん」て言うから、
僕が「何でも占いが当たったら、その占い師に依存してしまうやろ」
「ほんで、その占い師がいなかったら何も決めれない人になるで、まー最終的には壷を買わされるな。」
「当たらん占い師なら、やっぱり自分のことは自分で決めなくっちゃって思うやん」
女の子「なるほどねー」

TVなどで占い師の人とか、霊能者の人とか出て尊敬とかされてるけど、別に占いが当たるから、霊が見えるからって、その人が人格者ってわけじゃないんだよね。

ある人がお釈迦様にこう言いました。
「私の目の前で超能力を見せてくれたら、あなたの弟子になります」
それを受けてお釈迦様はこう答えます。
「占い師や、超能力を使えるものを無闇に尊敬してはいけません、その力は心が汚れていてもできるのだから」
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by namazunahi | 2007-03-23 03:51

輪廻と道徳

仏教の教えに輪廻転生というものがあります。
この輪廻転生というのは、簡単に説明すれば死んだらどこかに生まれ変わるってやつです。
人に生まれ変わるかもしれないし、動物かもしれないし、昆虫かもしれないし、幽霊かもしれないし、地獄や天国に転生するかもしれない、はたまた神様になることも・・・・。
ほんで、どこに転生しようがかならず生命には寿命があって(幽霊、神でも)、またどこかに転生する。
こうして過去からずーと輪廻転生を繰りかえし未来永劫輪廻転生を繰り返すのが(宇宙がなくなってもあらたな宇宙で)、生命というものらしい。

死んでから転生した世界でよい環境に恵まれるかどうかは、過去世からの業(善業、悪業)で決まる。
だいたいのアジアの在家仏教徒というのは、いい事をして来世は良いところに生まれようねって感じで暮らしてるそうです。
このように輪廻転生というのは、仏教徒の道徳から切っても切り離せないないものであります。
ちなみに出家は、この輪廻転生からの脱出をめざしてがんばっておりやす。(まあ、すべてのお坊さんが目指してるわけではないのですが・・・)

そういえば、ネットでお釈迦様は輪廻転生は説いてないという説を読みますが、もし、お釈迦様が輪廻転生を説いてなければ、悟ったあとそのまま入滅していたであろうし、仏教では殺生戒(生き物を殺すのはやめましょう)があるから、もう生命を殺さないために仏教徒による善人達の集団自殺が各町や村で起こっていたでしょう。(例え、殺生戒を守ろうとしても生命を殺さないのは不可能)
でも、輪廻転生論があるから自殺したところで、またどこかに転生して生命を殺し続けなければいけないから、結局、自殺すらできない。ようするに解脱するしかないというわけです。
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by namazunahi | 2007-03-21 06:09

善行為で気づくこと

道端などで缶が落ちてたら拾ってゴミ箱に捨てたほうが、町が綺麗になって良いのですがなかなか簡単にはできないものです。
「人に見られたらはずかしい」とか「急いでいる」とか「メンドクサイ」とか「きたない」など理由があると思います。
この心の理由を明確に気づいておくのは重要なことです。
町を綺麗にしようとすることで、自分の心の汚れに気づけるのですから。
心の汚れを放置したまま良いことをしていってもあまり良い結果にはならないものです。
重い感情のまま物事をやっても疲れるだけですから、自分の心が軽くなるようにできるといいですね。
仏教では今に気づいてることは善行為なので、缶を拾って自分の心の声(不平、不満、怒りでも)をちゃんと聞きながらやれば(ちゃんと聞くと心は落ち着きます)素晴らし善行為です。とてもよい結果があると思います。
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by namazunahi | 2007-03-16 04:31

ミャンマー

去年bsで、今のミャンマーの仏教徒の人たちの生活を放送してたのを見たので
すが、ミャンマーも中国の影響で資本主義が入ってきて、物質主義になっていく
様子を映してました。
それにともない、農村部から都会に行く人が増えて、農村部の仏教団体を維持し
ていくのが難しくなっているようですね。
まあ、今まで貧しい暮らしをしてた人たちが急に華やかな世界をみてしまった
ら、そっちに行ってしまうのはどうしようもないわけで。
しかし、今の日本を見れば分かるけど、物質主義に走れば走るほど精神はクタク
タになってしまうから、あと十年ぐらいしたらミャンマーの人たちがまた、自分
たちの仏教を見直すのではないかと思います。
それまでに、ミャンマーの仏教が消えないでいて欲しいのですがね。
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by namazunahi | 2007-03-12 20:59

生きとし生きるもの

初期仏教の慈しみの瞑想の中に、生きとし生きるものが幸せでありますようにというフレイズがあります。
生きとし生きるものが幸せでありますようになんて偽善的やなと思う人も多々いると思いますが、生きとし生きるものが幸せであるなんて実現不可能なのは百も承知なのです。

例えば、道端で瀕死の小鳥を助けても元気になれば、昆虫などを食べる分けですから昆虫からみれば大迷惑な話です。
人間なんて、生命を維持するだけで他の生命を大量に奪ってますし。

この弱肉強食な世の中で生命全体が幸せなんて実現不可能でも、それでも生きとし生きるものが幸せでありますようにと願う心を育てるのが重要なのだと思いますね。
お釈迦様は、共存が競争に負ければ世の中は終わりと言ってるわけですから、なるべく世の終わりは遅く来てもらった方がよいですしね。
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by namazunahi | 2007-03-08 05:57