日々の気になったことや仏教についての話など。


by namazunahi

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言葉の暴力の対処法

仏典のお話。

ブッダのお弟子さんがブッダに質問します。

「ある人はブッダを非難しますが、ある人はブッダを賞賛します。これはどういうことでしょか?」

そこでブッダはこう答えます。

「他の者が私を非難しても、あなた達は敵意をいだいたり、落ち込んだり、心で憤慨してはいけません。もしそこで、あなた達が怒ったり、不快になったりしたら、あなた達の障害になります。
そして、あなた達はそんな状態で、彼らの言ったことの良し悪しを判断できるでしょうか?」

「ブッダよ、それはできません」


「他の者が私を非難した時は、あなた達はそこで、事実でないものは事実でないとして、はっきり説明するべきです」
「これこれの理由からも、このことは事実ではない。これこれの理由からも、このことは真実ではない。われわれはこのことがない。また、われわれにはこのことが見られない」と

「他の者が私を賞賛しても、あなた達は歓喜したり、喜んだり、心で小躍りしてはいけません。もしそこで、あなた達が歓喜したり、喜んだり、小躍りしたら、あなた達の障害になります。
そして、あなた達はそんな状態で、彼らの言ったことの良し悪しを判断できるでしょうか?」

「ブッダよ、それはできません」

「他の者が私を賞賛した時は、あなた達はそこで、事実であるものは事実であるとして、はっきり説明するべきです」
「これこれの理由からも、このことは事実である。これこれの理由からも、このことは真実である。われわれはこのことがある。また、われわれにはこのことが見られる」と
                                    (参考書、パーリ仏典 片山良一著)

他人が自分を非難したり、褒めたりする時ってある一部分をいってる場合がほとんどやね。
やで、人から非難されたり、褒められたりした時は、「あーこの人は自分のこの部分を非難してるんや、この部分を褒めてるんや」っと冷静に理解すると、心の動揺はケッコウ押さえられるものです。
自分のすべてを見て、全肯定や全否定してる分けやないからね。
相手が感情的に自分を肯定や否定してる時は「あーそうですか」って感じですまし顔で聞き流せばええ分けであります。
とくに根拠があって肯定したり否定してる分けじゃないもんやしね。
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by namazunahi | 2006-12-05 22:11